激甘思想入門〜自分を正当化するためのトントロの日記

若い者には辛い世の中、甘くおいしくいただきましょう。

激甘通勤入門〜天王洲アイル、アツくない?

両国暮らしもはや7年目。

お相撲さんの横でラーメンをすすることになんの違和感も持てなくなってしまった美少女小説家、トントロです。

 

さて、ついにこの時がやってきました。マンションの更新です。

両国も住み慣れてきて、両国はおろか、浅草・亀戸・清澄白河・四谷の4点の間の区間ならもはや庭同然となってきた今日このごろ。

いや、迷わず更新するでしょ。

と思っていた矢先、父からこんなことを言われました。

「両国から出ろ」

……聞く謂れはない。わかってる。

しかしボクも弱った点があるのです。

一つは、今の家は親の名義で借りていること。学生の頃から住んでるからね。なので今の部屋の生殺与奪の権利は親にあるということです。名義を変えるというのも検討はしたのですが、契約料をイチから払い直さねばならないので、それはさすがに……となりました。

もう一つは、家庭の事情で両親の一時的な生活拠点としても使いたいとの要望。家庭の事情というのはめんどいので割愛しますが、そう言われてしまうとこちらも弱いです。

ただ、住み慣れた街から出るというのは、なかなかハードルが高いです。今の実家より長く住んでるし。活動拠点から離れるのは……。

 

まぁいいや、こうなってしまったら仕方ない。物件を探そう。

今の家との差額を3〜4万くらいだったら補助してもいいとの条件をなんとか得ることができた。ただし補助の条件はいくつかある。

①広い部屋。

②今と生活圏を変えること。

③横浜にできるだけ近いところで、かつ栃木からのアクセスも悪くない場所

……条件キツすぎませんかね。

 

この条件に沿って物件を探していくと、だいたいの場所は都心から離れるのがネック。

山手線的には池袋・西日暮里・品川・目黒を囲んだ四角形の±3km圏内はなかなかいい物件がない。あるとしたら谷根千谷中・根津・千駄木エリアのこと。簡単に言うと上野公園の北西の方に広がっている地域)か三田(言わずもがな陸の王者のお膝元)かといったところですが、このへんは古くから下町だったり学生街だったりで築年数が古い物件が多く、ちょっと不安になります……。

ここで浮き彫りになるのが住む街としての両国の優秀さ。都心から言うほど離れていない(アキバまで2キロ弱)し、総武線・大江戸線と交通機関も物理的には扱いやすい。そしてなにより安い。駅から7分圏内であれば1DK・30平米で10万前後。また、7年住んでいるとわかる治安の良さもこれに後押し。

出るメリットなくね?まぁいいや…………。

 

両国に名残惜しさを感じつつ物件を漁っているうちに見つけたのが……

そう、天王洲アイルなのです。

まず安さ、30平米で11万。許容範囲内。

次に立地。天王洲アイルは品川の南東くらいの埋め立て地域。りんかい線東京モノレール、ちょっと歩けば京急新馬場駅とそこそこ。りんかい線で新宿・渋谷まで一本でいけるのはかなり大きい。

なにより海沿いですよ!海沿い!

海なし県で生まれ育ってきた民族としてはこれ以上ないステータス!!

しかも、海沿いにもかかわらず震災のリスクが低いそうなんですよ。

https://www.e-tennoz.com/whatstennoz/bousai.html

これを見ると、液状化のリスクも津波による浸水のリスクも低そうなイメージです。

 

生活圏も隅田台東エリアから品川エリアへ一気に移動するし、近くに京急も通ってるから横浜にも出やすいし。あとあと、近くにイオンモールがあるんですよ!チャリ圏内!これはでかい!!

 

……天王洲アイルはスマッシュヒットなのでは?

 

そんな浅はかな期待を抱きつつ、両親に相談してみたいと思います。

これはしっかりプレゼンしなければな……。

 

続報はまたいつか。

激甘思想日記〜岡崎体育ってすごい人なんだ

作業療法士のドSっぷりにそろそろ疲れが見え始めた美少女小説家、トントロです。

 

働いてたころはあんまりYouTubeとかまじまじと見たことはなかったのですが、最近はゆとりがあるのでなんとなく見てしまっています。

ヒカキンTV、普通に面白いね。こりゃ子供も笑顔になるわ。毒はないし、ただ面白いと思うことを面白いと思う方法でストレートに表現することがこれほど面白いとは。ヒカキンさんすげえよ。尊敬する。

 

そんなYouTubeブームの中、おすすめ動画で出くわしたのが、岡崎体育さんの『感情のピクセル』の公式PVでした。

岡崎体育さんの名前は実は知らないわけではありません。最近のポケモンのエンディング曲『ポーズ』で曲も「ああこんな感じの人か」という認識は持っていた(そもそもこの認識はのちにあっけなくぶち壊されるのであるが)し、Twitter上で「いいね」を押すだけのアカウントを作っていたのも頭の片隅に残っていました。

なんとなく興味を持ってしまったので、ポチッと。

https://youtu.be/3yoJY0IqiV0

 

最初のほうはなんか今風のロックっぽかった。こりゃONE OK ROCKとかthe band apartとか、OLDCORDXみたいなノリって言えばいいのかな?(音楽の語彙力が低いのは許してください……)

とりあえず技巧と調和が取れた日本のかっこいい音楽とでも書いておこうと思います。

PVも岡崎体育さんがかっこよくバンドを引き連れて弾きながら歌ってる。

ほう、これはなかなか……と思った次の瞬間。

 

「どうぶつさんたちだいしゅうごうだわいわい」

 

……は?

かっこいい音楽に乗せられて、謎のどうぶつさんたちの着ぐるみが寓話とともに画面の中を動いていました。

えっと……チーターが早いのはわかった。ワニさんが仲間はずれなのもわかった。でもお前らそのかっこいい音楽の住人なのか?

とりあえず笑ってしまいました。面白い。素直に面白い。

あまりの面白さに、おすすめされたもう一つのPVも覗いてしまいました。

『Natural Lips』

https://youtu.be/Qs9C5sVJuVs

 

ジャミロクワイだのダフトパンクだののような音楽に乗せられて歌われるのは英語風の日本語。しかもなんかやたら英語っぽいし、やたらしょうもない日本語で。

これは笑う。なにが「ブス 否 美人」だよ。確かに英語っぽくはあるけど。

 

あとこの曲。

『鴨川等間隔』

https://youtu.be/V2skLTK-de0

 

ノリは打って変わってくるりとかエレファントカシマシとかに近い。曲としても哀愁を感じさせるいい曲です。

 

 

ここまで聞いて思ったのが、岡崎体育さんの引き出しの多さ。

いろいろな音楽をコピーしてきたのかな?そのあたりの事情はぜんぜん調べていないのでよくわからないのですが、この人のすごいところはホンモノっぽく、自分のことをやるというスタンスが一貫していること。

なんとか風の音楽って、素人でも「あ、この曲は80年代っぽいな」なんて結構意識できるものなのですが、この人はそれを感じさせないものがあります。本気でその音楽をやっている人みたいに始まります。

でも曲を聞いてみると、結構やりたい放題。そのギャップに笑わされます。

 

勘のいいガキのみなさまは、ボクの言いたいことがなんとなくお分かりになったかと思いますが、岡崎体育さんのこれらの曲にはポスト構造主義的な要素が多いです。

 

音楽そのものをシニフィアン(記号表現)、音楽の内容をシニフィエ(記号内容)とすると、この人のシニフィアンシニフィエの関係は破綻しています。

簡単に言うと、音楽そのものと歌詞・PVの内容が一致していないということです。

それってよくないことなんじゃ、と思う人もいるかとは思いますが、ノンノン。確かに理想的な聴き手……つまり、音楽に造詣が深く、かつフラットな目線で見ることができる人にとっては「バカじゃねーの」と言われるかもしれません。でも、そんな人なんて一握りでしょう。YouTube見る人なんて不特定多数なわけなんですから。

そんな不特定多数に向けたこの音楽の面白いところは、シニフィアンシニフィエの逆説的な調和なんです。

例えばこの曲。

『MUSIC VIDEO』

https://youtu.be/fTwAz1JC4yI

 

この曲、音楽そのものは僭越ながら申しあげると、ありふれたポップ曲だと思います。特に言うことはない音楽です。

すごいところは、MVとして流れる映像と歌詞。MV・PVにありがちな要素を説明しているだけ。

これだけでも確かにあるあるとして笑えるでしょう。でも本当に笑えるのはこの曲のテンポとあるあるが調和していることにあると考えます。

テンポよくあるあるが流れ、破棄されていく様子はまさにロックそのもの。

ポップ曲だと頭では認識しているのに、流れる動画はロック的。

このシニフィアンシニフィエはどうみても対立していますが、動画を見て感じる作用に対してドラマティックに働きかけているのです。

本当によく考えられていますね。

 

岡崎体育さんを見てまっさきに思い出したのがグッチ裕三さん。あの人もこのような逆説的調和をする人物でした。

ビートルズの替え歌はよく聞いたなぁ……。

 

でもグッチ裕三さんよりも岡崎体育さんは上回っていると思います。それは「自分で音楽を作ることができる」。この点です。JASRACさんとかがぶいぶい言わせる世の中になったからでしょうか。

でも自分で創作できるという強みは強い。ありものでは作り込めない逆説的調和ができる隙をうまく作ることができるということにもなりますから。

 

岡崎体育さんがここまで来るのに、相当の努力があったことは想像に難くありません。

これだけの引き出しを持ってわれわれに珍妙、かつ巧妙な音楽を叩きつけてくる彼に、ボクは目が離せなくなってしまいましたとさ……。

 

はぁ、なにかしかの音楽やっとけばよかったよ……。

激甘百合入門〜百合ってなんだよ 『マリみて』はこんなにすごい!前編

マリアさまのこころ、それはサファイア

 

これは「マリアさまのこころ」という歌の一節です。

確かこれは聖母の賛美歌の一つだったような記憶があります。

この歌、樫の木とか出てくるのですが、樫の木ってドルイディズムじゃね?こわ……と今となっては思ってしまいます。

こころはスレた美少女小説家、トントロです。

 

みなさまも名前だけは聞いたことがあるだろう

マリア様がみてる

百合文化が花開きつつある現在は百合小説の原典とも呼ばれる立ち位置にあります。

2012年に完結を迎えましたが、1998年に1巻の初版が出てから既刊39巻。これだけのシリーズが続くということが人気の裏付けともなりましょう。(ちなみに、短編も含めると1997年にcobaltという雑誌に掲載されたものが初出だったりします。のちにこの短編は再編され、二期白薔薇姉妹の話となります)

コバルト文庫から出版されたこのシリーズは、エスの文脈に近い少女向けライトノベルとして刊行されました。

 

このお話はミッション系女子高、リリアン女学園が舞台のお話です。

福沢祐巳ちゃんという、お嬢様学校的には普通(お父さんは一級建築士。普通に考えるとぼんぼんでしょう……)の女の子が、小笠原祥子さまという財閥令嬢にして次期紅薔薇(簡単に言うと世襲制生徒会長みたいなもん)にスール……つまり擬似的姉妹関係を強要されるところから話がスタートします。

祐巳ちゃんはもともと祥子さまのファン。でも、好きでもないのに強要されるのはちょっと違う。でもでも……と言う葛藤を抱いている祐巳ちゃんをお構いなしに、祥子さまは猛烈アタックをしかける。しかけてたら情が移っていって……というのが物語の出だしです。

 

シリーズを区分すると4期間。

一期「マリアさまがみてる(一巻)」〜「いとしき歳月

……第1期薔薇さま卒業まで

二期「チェリーブロッサム」〜「真夏の一ページ

……第2期白薔薇姉妹〜2年生夏休み

三期「涼風さつさつ」〜「ハローグッバイ」

……祐巳ちゃん妹問題勃発〜お姉さま卒業

四期「リトルホラーズ」〜「フェアウェルブーケ」

……後日談+おまけ

 

こんな感じですね。結構ざっくりざくざくな感じですが。

先ほど話した祐巳ちゃんと祥子お姉さま……紅薔薇の話以外にも、耽美でエス的な白薔薇、スキャンダルに定評のある黄薔薇、その他周りの人々が描く百合模様の話が入り混じり、まさに百合小説プロットのオンパレードのような作品に仕上がっています。

……なんかこう言うと安売りみたいで嫌だな。

 

先日もうしあげたエスの文脈を生かしつつ、日常に落とし込んでいる、というのがこの作品のすごいところです。

実はエスの文脈自体は作中で主題として提起されており(3巻「いばらの森」)、それについての作中の回答もとても現代的。ヤマもなければ心中もなし。でもその当たり前な結果こそが悲劇的。そんなテイストに仕上げられるのもこの作者ならではの味だと思いますね。

そんな当たり前の、ありふれた世界における回答範囲内で愛情の甘さ、酸っぱさ、苦さを感じさせる味は当初のターゲットである女子だけでなく、男子のこころも揺さぶりました。

 

 

長くなったな、続きはまた今度。

マリみて読みたい!となったそこのあなた!今すぐ「レイニーブルー」まで大人買いするんだ!!

激甘通勤入門〜総武線はつらいよ

痴漢にはあわない美少女小説家、トントロです。

 

神さまのいたずらでなんとなく大学受験に成功してしまったボクは、大学が決まる前に予備校のあっせんで予約していた両国の学生寮に住むことになりました。

そしてなんやかんやで住む場所を変えても両国に7年近くも居座ることになってしまったのですが、両国という街は非常に快適です。

下町に位置したこの街は人がたくさん行き交うわけでもなく(とはいえ実家よりは多いし、相撲の場所中は少し増えるけど)、かといって半分は国技館・大江戸博物館などがある観光地なので、なにもないわけではない。

猥雑な飲み屋は一箇所に固まり、居住区は整然と立ち並んでいる。

そんな穴場的なこの街がボクは気にいっています。

 

しかし。

 

唯一のネックは通っている電車が総武線、ということなのです。

 

両国にはふたつの路線が通っています。

一つはJR総武線。一つは都営地下鉄大江戸線

総武線イヤならもう一つある大江戸線使えばいいじゃん!という意見もあるでしょう。

しかし、このJRと都営地下鉄の間には異様なまでの距離があります。

最短ルートで行っても、距離にして500m。歩くと割とかかります。しかも、大江戸線は地上と地下の路線の高低差が大きい。乗り換えをこの間で行おうと思うと、10分前後見ておかないとスムースに行きません。

もう一つ、大江戸線は「大江戸」つまり昔の江戸の都市圏より広い場所を囲っている、という意味でもあるらしく、ビジネスエリアをぐるっと囲むように走っている性格もあってか、迂回的な役回りとしては便利です。ただ、両国からだと最短コースではないことが多いので、目的地までの到着がやや遅い、というのがボクとしては扱いづらいなぁと思う点です。御徒町らへんだったらもう少し違ったかもだけど。

 

これらの理由でJRの利便性に任せて定期もJRで!となるのが割と一般的な流れとなるのですが、

 

総武線は人身事故が多い!!!!!!!!!!

 

普段は早くていい電車なんですよ。アキバとか飯田橋とか新宿とかすぐに行けるので。

ただ、通勤ラッシュの時間帯に限って、こんなアナウンスが聞こえてくるのです。

「えー、ただいま新小岩駅にて人身事故が発生しております影響で……」

……なるほどね。

となるわけです。そうすると結局遅い大江戸線に頼る羽目になります。その時点で目的地への到着時刻が遅れることになります。大学でもこうなるとほぼ遅刻確定。会社は中野坂上なので、ダッシュしたらまだ……という慌ただしいことになります。

そして、もう一つ大変な理由。それは……

 

400%を超える日本一の乗車率!!!!!

 

大学時代は授業が朝になかったので特段気にはならなかったのです。

社会人になって、毎朝7時台に乗るようになったのですが、電車に乗ることが一苦労です。

だって乗るときに誰かを押さなくちゃ乗れないんだもん……。

で、ドアが閉まると身動きが取れなくなる。スマホもいじれないので、毎朝同じ街並みを観察する羽目になります。それはそれで楽しいけど、毎日見ているとさすがに変化に鈍感になってしまうものなのです。ようするに退屈。リモコン付きイヤホンで電波ソングをザッピングしながらやり過ごすのが日常になりました。

 

 

総武線、本来はとても便利な電車なんですよ。本当に。でもね、平日朝にアレに乗ってはいけない。あそこは魔境。乗るなら、痴漢冤罪にあわないように、男性のみなさまは手のやりどころには気をつけて乗りましょうね。

 

 

ま、ボクは美少女だから関係ないけど。

激甘百合入門〜百合ってなんだよ 大正〜昭和編

心は美少女小説家、トントロです。

うさんくせえ。

 

最近、百合マンガがようやく市場を騒がせるようになってきました。

有名どころだと仲谷鳰先生の『やがて君になる』とか、サブロウタ先生の『citrus』とか。

あと『捏造トラップ』のコダマナオコ先生。あの人は偉大。人物描写うますぎ。個人的には『レンアイマンガ』がイチオシですよ。

 

……というのはさておいて。

 

最近は百合営業なんて言葉も使われてきてはいますが、以前はもっとマイノリティな文化でした。マイノリティだったころの百合文化について、少し触れてみたいと思います。

起こりは大正時代に遡ります。1910年代の新潟における女子の心中事件がきっかけだそうです。

当時の女性は結婚して子供を産むのが当たり前。女性同士の感情は一時のものに過ぎず、異常な人間でしかない、という思想がマジョリティの時代です。

彼女たちにとって、心中という行為はこの世で愛を成し遂げる唯一の表現方法だったのでしょう。

 

まぁ、そりゃそうか。添い遂げられないのだったら死ぬしか方法はないってーのはいささかアレだが、一時の感情で考えるのであればそういう結末をたどってしまうことはある意味ドラマティックだし。

 

この心中がセンセーションを起こし、大正末期〜昭和初期にかけて、sisterhood……つまり姉妹、転じて女性同士の関係を受容・憧憬するエスの文化となりました。

当時のエスの文脈は先述の通り、けっこう悲劇的。添い遂げるための心中を選ぶ方々が多いです。まさに大正ロマンの世界観ですね。

 

そんな中、エスの文脈の中で活躍した作家がいます。その人こそが百合の元祖とも言える、吉屋信子です。

戦前、それも大戦がまだ顕在化していなかったころに活躍した女流作家さんです。

彼女曰く「思春期の女の子を熟知している」と言い張っている通り、文章は読みやすく、描く人物もなかなか考えられています。思春期さながらの荒削りな気持ちのぶつかりあい、葛藤、そしてときめきを砂糖で煮詰めてジャムにしたような綺麗ながらも濃密な筆致で書く作家さんでした。彼女の文章はのちのエス文化で中心的役割を担っていきます。

彼女の作品では『わすれなぐさ』が有名でしょう。よく1人でいる個人主義の女の子が硬派で勉強家な女の子にときめいたり、ナンパでおしゃれな女の子に迫られてドキドキしたりと、まさに百合の世界です。そして当時の選ぶもののセンス。主人公が贈るプレゼントがインクスタンドですって!洒落が効いておりますわね……。

百合なんて知らないよ、というあなた。百聞は一見に如かず。百合と一緒に大正ロマンの気分も味わえます。彼女の華麗なる筆致に酔いしれるといいですわ。おほほほほ。

 

……昭和になるとエス文化は一気に衰退を見せます。

大戦で言論の自由がなくなり、戦後は男女の交際が当たり前になっていったこともあり、自然消滅といったところだと想像します。

そもそも、エスの文脈としては「思春期の一時のときめき」こそが関係の全てだったので、選択肢が広がった時代にこんなリスキーな関係なんて、と思う女の子も多かったのではないのでしょうか。

 

余談ではありますが……実家の母と叔母はごりごりのミッション系女子校に幼稚園からいたせいか、未だに姉や先輩のことを〇〇お姉さま、と呼んでいるのを耳にします。

これはエス文化とかじゃないと信じたい。だって肉親のアレとか想像したくないし…………。

 

つづきはまたいつか。

激辛料理入門〜おいしい辛さは下味から

少女小説家のトントロです。

嘘です。

 

唐突に自分語りから始めるわけなのですが、

我が家は辛いもの好きの一族なのです。

 

ボクの実家はありふれた中流家族なのですが、

両親の意思疎通が全くできないことで有名です。

とくに父の頑固っぷりは常軌を逸脱しておりまして……

その異常っぷりのひとつとして「激辛信仰」が挙げられます。

 

父は食べるものが辛くないと気が済まない人間なのです。

食べ物によく七味をかけます。

餃子にも、味噌汁にも、ロールキャベツにも、シチューにも基本七味です。

味覚がおかしいんです。

その異常っぷりを感じ取っていたのは、他でもない母でした。

はじめに言っておきますが、母はバカです。理解能力が皆無です。一族の中ではそれが愛すべき存在だそうなのですが、ボクには理解できないくらい理解力が乏しい人間です。

 

その母はあまり料理が得意ではありません。

料理が得意ではない、というのはやや語弊があるかもしれませんが、少なくとも味付けの才能はありません。

しかしながら、自分の作った料理に対するプライドは人よりも高いです。

なので、父親が七味をかけると激怒します。

「味わってからかけろ」と。

しかし父はこう反論します。

「味がしないからかけてるだけだ」

だいたいこれで夫婦喧嘩が始まります。それはさておき。

このやりとりを毎週やっているので、さすがの母も学習しました。変な方向に。

どういう方向かというと、料理のベース(油、ダシとか)に辛みを入れる、という方向性です。いや、味がないならその方向性は風味消すだけだろ……と思うのだが、彼女にとってはそれが最適解らしいので。

 

結果として我が家のありとあらゆるものは辛く仕上がります。

おでんには鷹の爪が入り、シチューにはハラペーニョが入り、餃子の具はなぜか赤い。

 

しかしそこは我が家、父が味見もせずに七味をかける。母は怒り、唐辛子を見境なく投入する。(ちなみに七味はボクが買ってきた舞妓はんひぃひぃだったりする)

以下、無限ループの繰り返しにより、我が家の食卓は常に唐辛子で彩られるようになりました。

そんな食卓に慣れきったボクは辛いものエリートとして世に放たれたのでありました……

 

 

本題です。激辛料理を作りたい時は、とにかくベースの辛みを際立たせること。これだけで辛さの印象が変わります。

油を炒めるときに鷹の爪(これは某とちまる生徒会長に教わった技術)を輪切りにして入れるとか、油の三分の一をラー油にするとか、それくらいで劇的に辛みが加わります。

あと、一味を使うのを惜しまないこと。一味を入れると唐辛子の風味が強く出るので、味に深みが増します。

 

 

……誰がやるかよバーカ。

事の顛末と今後についてー後編

なんだろう、文章にまとめてみると自分が客観視できていいな。

 

 

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3月上旬に一週間の休暇を経て、復職。

復職したころにはCRPも比較的落ち着き、あとは薬を飲んでいけば……という話でした。

ようやく仕事も落ち着いてきたので、上司の計らいで残業削減対象者として働かせていただくことになりました。名ばかりだけど。

なんだかんだ頭数としてガリガリオペレーションをしていたころから溜まっていた改善活動・業務引き継ぎ・マニュアル作成などなど、庶務を清算しなくてはなりませんでした。そうしないとボーナス出ないし。

とはいえ「早く帰れ」との進行管理者のプレッシャーがかかります。ごもっとも。彼も賞与がかかっていますから。

と泣き言を言っても実務は減らないわけで、これらの庶務は当然時間外になされることになります。

このころから、眩暈がひどくなりました。

最近太ったしなー、などといま思うと的外れなことを言っていたような気がします。

内科から耳鼻科に移りましたが、特段の異常は認められず。しかし眩暈が治らないということを主張したら、「紹介状書いてやるから心療内科へ行け」とのこと。

心療内科ぁ?そんな大層なもんじゃあないだろ……絶対いかねぇ……

 

そんな矢先、都内某駅にて倒れました。

その時のことをあまり覚えていないのですが、通勤電車を待っているときにふらっと、ころっと倒れこんだ記憶があります。

そのあと耳鼻科にも行きましたが、先ほどと同じ結論に至りました。

 

心療内科の初診は適応障害。このままいくと鬱が固定化するから休め、とのことでした。

休むわけにはいかなかったので、業務量を減らせばなんとかなるだろう、と思い休職はせず働くことにしました。それがきっかけで業務量を上司に相談し、会社の「フィックスタイム制度」(固定残業代がでない代わりに定時帰りにできる制度)を使うことに決めました。

ただ、当時の進行管理者がアホで、平気で難しい仕事を突っ込んできたのでなんの意味もありませんでしたが。

 

という経緯もあってか、最後に出勤した日は微熱・嘔吐・眩暈・頭痛・倦怠感でもはや仕事にならず、お医者さんからドクターストップを……と相成りました。

 

その後の出会い頭で車にはねられ、橈骨尺骨の全治半年のケガを負った事故は、標識を見損なった人為的ミスのための結果です。

 

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一度会社から遠ざかって自分のことを思い返してみると、自分のキャパシティじゃ賄えないところまで頑張ろうとしていたのかな、と思います。

ボク自身、結構な大嘘つきだと自負しているので、見栄をはってしまった末路とも言えます。

 

たしかに、会社に非がなかった、とは言えません。クソ進行管理者もいたことだし、許せない会社の仕組みがまだいくつもあります。

でも、一番ダメダメだったのは自分ではないかと。大見栄をはってしっぺ返しを食らったのは自分ではないかと。今ではそう思います。

 

なので、当面は戦うことに決めました。

自分の場所を得るために、もう自分から目をそらさないために、戦う。

その姿勢がいままで足りていなかったのではないか、と反省しました。

 

たしかにボクはおぼっちゃまです。

ゲーム機以外のものはいえばなんでも手に入ったし、ダダをこねれば進学先も選ばせてくれたし。

そういう意味では親離れできてなかったのかな、とも思います。

 

これが戦う時であるならば、いま自分は人生の岐路に立っているのかもしれません。

いま何をすべきか。これからどうありたいか。

この休職期間中に見つめ直していければ、と思います。