事の顛末と今後についてー後編
なんだろう、文章にまとめてみると自分が客観視できていいな。
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3月上旬に一週間の休暇を経て、復職。
復職したころにはCRPも比較的落ち着き、あとは薬を飲んでいけば……という話でした。
ようやく仕事も落ち着いてきたので、上司の計らいで残業削減対象者として働かせていただくことになりました。名ばかりだけど。
なんだかんだ頭数としてガリガリオペレーションをしていたころから溜まっていた改善活動・業務引き継ぎ・マニュアル作成などなど、庶務を清算しなくてはなりませんでした。そうしないとボーナス出ないし。
とはいえ「早く帰れ」との進行管理者のプレッシャーがかかります。ごもっとも。彼も賞与がかかっていますから。
と泣き言を言っても実務は減らないわけで、これらの庶務は当然時間外になされることになります。
このころから、眩暈がひどくなりました。
最近太ったしなー、などといま思うと的外れなことを言っていたような気がします。
内科から耳鼻科に移りましたが、特段の異常は認められず。しかし眩暈が治らないということを主張したら、「紹介状書いてやるから心療内科へ行け」とのこと。
心療内科ぁ?そんな大層なもんじゃあないだろ……絶対いかねぇ……
そんな矢先、都内某駅にて倒れました。
その時のことをあまり覚えていないのですが、通勤電車を待っているときにふらっと、ころっと倒れこんだ記憶があります。
そのあと耳鼻科にも行きましたが、先ほどと同じ結論に至りました。
心療内科の初診は適応障害。このままいくと鬱が固定化するから休め、とのことでした。
休むわけにはいかなかったので、業務量を減らせばなんとかなるだろう、と思い休職はせず働くことにしました。それがきっかけで業務量を上司に相談し、会社の「フィックスタイム制度」(固定残業代がでない代わりに定時帰りにできる制度)を使うことに決めました。
ただ、当時の進行管理者がアホで、平気で難しい仕事を突っ込んできたのでなんの意味もありませんでしたが。
という経緯もあってか、最後に出勤した日は微熱・嘔吐・眩暈・頭痛・倦怠感でもはや仕事にならず、お医者さんからドクターストップを……と相成りました。
その後の出会い頭で車にはねられ、橈骨尺骨の全治半年のケガを負った事故は、標識を見損なった人為的ミスのための結果です。
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一度会社から遠ざかって自分のことを思い返してみると、自分のキャパシティじゃ賄えないところまで頑張ろうとしていたのかな、と思います。
ボク自身、結構な大嘘つきだと自負しているので、見栄をはってしまった末路とも言えます。
たしかに、会社に非がなかった、とは言えません。クソ進行管理者もいたことだし、許せない会社の仕組みがまだいくつもあります。
でも、一番ダメダメだったのは自分ではないかと。大見栄をはってしっぺ返しを食らったのは自分ではないかと。今ではそう思います。
なので、当面は戦うことに決めました。
自分の場所を得るために、もう自分から目をそらさないために、戦う。
その姿勢がいままで足りていなかったのではないか、と反省しました。
たしかにボクはおぼっちゃまです。
ゲーム機以外のものはいえばなんでも手に入ったし、ダダをこねれば進学先も選ばせてくれたし。
そういう意味では親離れできてなかったのかな、とも思います。
これが戦う時であるならば、いま自分は人生の岐路に立っているのかもしれません。
いま何をすべきか。これからどうありたいか。
この休職期間中に見つめ直していければ、と思います。