激甘思想入門〜自分を正当化するためのトントロの日記

若い者には辛い世の中、甘くおいしくいただきましょう。

激甘百合入門〜百合ってなんだよ 大正〜昭和編

心は美少女小説家、トントロです。

うさんくせえ。

 

最近、百合マンガがようやく市場を騒がせるようになってきました。

有名どころだと仲谷鳰先生の『やがて君になる』とか、サブロウタ先生の『citrus』とか。

あと『捏造トラップ』のコダマナオコ先生。あの人は偉大。人物描写うますぎ。個人的には『レンアイマンガ』がイチオシですよ。

 

……というのはさておいて。

 

最近は百合営業なんて言葉も使われてきてはいますが、以前はもっとマイノリティな文化でした。マイノリティだったころの百合文化について、少し触れてみたいと思います。

起こりは大正時代に遡ります。1910年代の新潟における女子の心中事件がきっかけだそうです。

当時の女性は結婚して子供を産むのが当たり前。女性同士の感情は一時のものに過ぎず、異常な人間でしかない、という思想がマジョリティの時代です。

彼女たちにとって、心中という行為はこの世で愛を成し遂げる唯一の表現方法だったのでしょう。

 

まぁ、そりゃそうか。添い遂げられないのだったら死ぬしか方法はないってーのはいささかアレだが、一時の感情で考えるのであればそういう結末をたどってしまうことはある意味ドラマティックだし。

 

この心中がセンセーションを起こし、大正末期〜昭和初期にかけて、sisterhood……つまり姉妹、転じて女性同士の関係を受容・憧憬するエスの文化となりました。

当時のエスの文脈は先述の通り、けっこう悲劇的。添い遂げるための心中を選ぶ方々が多いです。まさに大正ロマンの世界観ですね。

 

そんな中、エスの文脈の中で活躍した作家がいます。その人こそが百合の元祖とも言える、吉屋信子です。

戦前、それも大戦がまだ顕在化していなかったころに活躍した女流作家さんです。

彼女曰く「思春期の女の子を熟知している」と言い張っている通り、文章は読みやすく、描く人物もなかなか考えられています。思春期さながらの荒削りな気持ちのぶつかりあい、葛藤、そしてときめきを砂糖で煮詰めてジャムにしたような綺麗ながらも濃密な筆致で書く作家さんでした。彼女の文章はのちのエス文化で中心的役割を担っていきます。

彼女の作品では『わすれなぐさ』が有名でしょう。よく1人でいる個人主義の女の子が硬派で勉強家な女の子にときめいたり、ナンパでおしゃれな女の子に迫られてドキドキしたりと、まさに百合の世界です。そして当時の選ぶもののセンス。主人公が贈るプレゼントがインクスタンドですって!洒落が効いておりますわね……。

百合なんて知らないよ、というあなた。百聞は一見に如かず。百合と一緒に大正ロマンの気分も味わえます。彼女の華麗なる筆致に酔いしれるといいですわ。おほほほほ。

 

……昭和になるとエス文化は一気に衰退を見せます。

大戦で言論の自由がなくなり、戦後は男女の交際が当たり前になっていったこともあり、自然消滅といったところだと想像します。

そもそも、エスの文脈としては「思春期の一時のときめき」こそが関係の全てだったので、選択肢が広がった時代にこんなリスキーな関係なんて、と思う女の子も多かったのではないのでしょうか。

 

余談ではありますが……実家の母と叔母はごりごりのミッション系女子校に幼稚園からいたせいか、未だに姉や先輩のことを〇〇お姉さま、と呼んでいるのを耳にします。

これはエス文化とかじゃないと信じたい。だって肉親のアレとか想像したくないし…………。

 

つづきはまたいつか。